半導体、重要鉱物、クラウド、医薬品、エネルギー。いまの企業活動は、ふだん意識しない海外の供給網や技術ルールに支えられています。
日本で議論されている経済安全保障シンクタンクは、この複雑なリスクを平時から分析し、政策判断や官民連携に生かすための仕組みです。単なる研究機関ではなく、政府、企業、研究者、海外機関の情報をつなぎ、先回りして備えるための分析機能と見ると分かりやすくなります。
この記事では、日本の制度設計、OECDなどの国際機関との連携、ヨーロッパとアメリカの動きを通じて、企業がなぜ注目すべきかを整理します。

経済安全保障シンクタンクの基本的な役割
経済と安全保障を同時に読む機能
経済安全保障とは、経済の安定や成長を守ることが、国家の安全や国民生活の維持にも関わるという考え方です。OECD(経済協力開発機構)は、経済安全保障を、経済の安定と成長を外部と内部の脅威から守る力として説明し、戦略産業、供給網、重要インフラ、エネルギー、食料、技術、サイバーなどを主な範囲に含めています1。
この考え方が必要になるのは、企業のリスクが一社だけで完結しなくなったからです。例えば、ある国内メーカーが部品を国内企業から買っていても、その部品の素材、製造装置、検査ソフト、物流ルートが海外の特定地域に偏っていれば、海外の規制や紛争が国内生産に影響します。経済安全保障シンクタンクは、こうした見えにくい依存関係を、データと専門知識で読み解く役割を担います。
政府の外に丸投げしない理由
意外に重要なのは、日本の制度案が、外部の調査会社に個別案件を委託する発想だけではないことです。有識者会議の提言骨子では、政府内部の調査研究には専門人材確保の課題があり、外部委託だけでは政策立案の現場と継続的に議論しにくいという課題が指摘されています。そのうえで、独立行政法人経済産業研究所(RIETI)内にシンクタンクを設けることが適切だとされています2。
つまり、狙いはレポートを作って終わることではありません。サプライチェーン分析、重要インフラ同士の相互依存、先端技術の研究開発や投資の動きなどを、政策判断に使える形へ変換することです。政府の中だけでも、民間任せだけでも足りないため、中立性と政策との近さを両立する場所が求められているのです。
経済安全保障シンクタンクは、供給網や技術のリスクを平時から分析し、政策判断に生かす機能です。
日本案の核心はRIETIと官民協議会
RIETIに置く設計の意味
内閣府が公表した改正法案の概要では、総合的な経済安全保障シンクタンクについて、内閣官房を司令塔とし、外交、情報、防衛、経済、技術の専門知識を集めて、総合的な調査研究と政策提言を行う業務をRIETIに追加するとされています3。ここで重要なのは、経済産業分野だけに閉じない点です。
法案概要では、内閣総理大臣が経済安全保障に関する総合的な調査研究を行い、その一部をRIETIに行わせることが可能になる設計も示されています。さらに、業務を行うRIETIの役職員に国家公務員と同等の守秘義務を求めることも盛り込まれています3。これは、企業や政府が扱う情報の中に、公開しにくい調達先、技術情報、海外事業のリスクが含まれるためです。
官民協議会との役割分担
同じ改正法案では、官民協議会の創設も示されています。これは、政府、事業者、学識経験者などが参加し、経済安全保障を確保するための情報共有や対策協議を行う場です3。シンクタンクが分析を担い、官民協議会が現場の情報と対策をつなぐ、と考えると整理しやすくなります。
| 仕組み | 主な役割 | 企業にとっての意味 |
|---|---|---|
| 経済安全保障シンクタンク | 供給網、技術、海外動向を横断的に分析 | 政策や支援策の前提になる情報が整理される |
| 官民協議会 | 政府と企業などが情報共有と対策協議を行う | 企業側の現場課題が制度設計に反映されやすくなる |
| 守秘義務の設計 | 機微情報を扱うためのルールを整える | 企業が情報を出す際の安心材料になり得る |
国会の審議状況を見ると、参議院の議案ページでは、同改正案は令和8年3月19日に提出され、令和8年5月19日に衆議院本会議で修正議決された情報が掲載されています4。制度は最終的な成立と施行を確認する必要がありますが、方向性としては、経済安全保障を一時的な危機対応ではなく、継続的な政策インフラとして扱う流れが強まっています。
日本案は、RIETIの分析機能と官民協議会を組み合わせ、政府と企業の情報共有を制度化する構想です。
国際機関との連携が欠かせない理由
OECDが担うデータと標準の役割
経済安全保障は国内だけで完結しません。重要鉱物の採掘、半導体の製造装置、クラウド基盤、AI(人工知能)関連の計算資源などは、複数国にまたがる供給網の中で動いています。そのため、日本だけの統計や企業ヒアリングでは、どの国にどれだけ依存しているか、どこで供給が止まりやすいかを見誤るおそれがあります。
2026年5月、外務省は高市総理とOECDのマティアス・コーマン事務総長の面会を公表し、日本とOECDが経済安全保障分野で協力を強化する方針を示しました5。同時に示された日本とOECDの協力計画では、脆弱性の特定、依存関係の把握、政策提言の作成に共同で取り組み、重要鉱物、半導体、AI、量子などの戦略分野を重視するとされています6。
国内分析だけでは見えにくい依存関係
国際機関との連携が重要なのは、各国が自国だけの都合で供給網を作り直すと、かえってコストやリスクが増える場合があるからです。OECDは、供給網を国内に戻す政策が世界貿易を18%超減らし、世界の実質GDPを5%超押し下げ得るとのモデル分析も示し、国内回帰が常に強靭化をもたらすわけではないと説明しています7。
ここから分かるのは、経済安全保障シンクタンクの仕事が、危ない国を避けるだけではないということです。どの依存は許容できるのか、どの分野は代替調達を進めるべきか、どの技術は海外連携で伸ばすべきかを見極める必要があります。国際機関は、その判断に使う共通データ、分析手法、国際ルールづくりの場として機能します。
経済安全保障は国境をまたぐ課題です。OECDとの連携は、依存関係を客観的に見る材料になります。
ヨーロッパ、アメリカで進む分析体制
ヨーロッパは技術流出リスクを共同で評価
ヨーロッパでは、EU(欧州連合)を中心に経済安全保障の枠組みが整えられています。EU理事会の説明では、EUの経済安全保障は供給網、重要インフラ、主要技術、経済的依存の武器化といった脅威に対応するものとされ、リスク分類として供給網の強靭性、技術安全保障と技術流出、重要インフラの安全、経済的威圧が挙げられています8。
特に分かりやすいのが、重要技術のリスク評価です。欧州委員会は2023年、加盟国とともにリスク評価を進める重要技術分野として10分野を示し、その中でも先端半導体、AI、量子、バイオ技術を、技術安全保障と技術流出の面で特に敏感で差し迫ったリスクが高い分野として挙げました9。ヨーロッパの特徴は、単に防御を強めるだけでなく、競争力を高める政策、リスクを抑える政策、他国と組む政策を組み合わせようとしている点です8。
アメリカは政府と民間研究機関が分散して分析
アメリカでは、政府内の調整機能と民間シンクタンクの分析が並行して動いています。連邦官報に掲載された大統領令では、サプライチェーンの強靭性について、経済的繁栄、公衆衛生、国家安全保障に必要なものと位置付け、国内生産、サプライヤーの多様化、重要インフラ、データネットワーク、食料システムなどを含めて説明しています10。
同時に、ワシントンには経済安全保障や先端技術を扱う民間研究機関が多くあります。例えば、戦略国際問題研究所(CSIS)にはEconomic Security and Technology Departmentがあり、米国とパートナー国が繁栄、安全、強靭性に必要な経済的、技術的優位をどう維持するかを扱っています11。アメリカの強みは、政府だけでなく、大学、研究機関、企業、元政府関係者が政策論争に参加し、複数の視点から仮説をぶつけられることです。
ヨーロッパは共同評価、アメリカは分散型の分析が目立ちます。日本は両方から学ぶ段階にあります。
企業が見ておきたい実務上の意味
自社リスクの把握
経済安全保障シンクタンクの創設は、すぐに全企業へ新しい義務を課す話ではありません。ただし、政策側が供給網、重要技術、海外事業、データを継続的に見始めるという意味では、企業の説明責任も少しずつ重くなります。特に、特定重要物資、基幹インフラ、先端技術、海外事業に関わる企業は、調達先や技術管理の情報を社内で整理しておく必要があります。
中小企業でも無関係とは言い切れません。大企業の部品サプライヤー、クラウドサービスの利用企業、海外メーカーから部材を買う企業、研究開発補助金を使う企業は、取引先から供給網や情報管理の確認を求められる可能性があります。制度の対象企業かどうかだけでなく、自社がどの供給網の一部にいるかを把握することが第一歩です。
中小企業が確認したい三つの項目
実務でまず確認したいのは、難しい安全保障用語ではなく、日々の取引情報です。次の三つは、業種を問わず始めやすい確認項目です。
- 主要な原材料、部品、クラウド、物流について、代替先があるかを確認する
- 研究開発、図面、顧客データなど、外部に出せない情報の保管場所を確認する
- 海外取引、共同研究、設備投資について、規制変更時に誰が判断するかを決める
この準備は、政府への報告のためだけではありません。価格高騰、輸出規制、サイバー攻撃、災害が起きたときに、どの取引を優先し、どの調達を切り替え、どの情報を守るのかを早く決めるためです。経済安全保障シンクタンクや官民協議会の議論が進むほど、企業側にも、根拠を持って説明できる管理体制が求められる場面は増えていきます。
企業は調達先、技術情報、海外取引のリスクを見える形にしておくことが大切です。
まとめ
経済安全保障シンクタンクは、供給網や技術の不確実性を平時から読み解き、政府の政策判断と官民連携に生かすための機能です。日本案では、RIETIを軸にした調査研究、官民協議会との連携、守秘義務を前提にした情報共有が大きな柱になっています。
国際機関との連携が重視されるのは、重要鉱物、半導体、AI、量子、データなどのリスクが国境を越えて広がるためです。ヨーロッパはEUとしてリスク評価を進め、アメリカは政府内の調整機能と民間シンクタンクの分析を組み合わせています。日本のシンクタンク構想は、こうした海外の動きの中で、日本の企業と政策をつなぐ分析基盤を作る試みと位置付けられます。
企業にとって大切なのは、制度の細部を追うだけではありません。自社の調達、技術、データ、海外取引がどこで止まり得るのかを整理し、説明できる状態にしておくことです。経済安全保障は大企業や政府だけの話ではなく、供給網に関わる多くの企業にとって、経営リスクを早めに見つけるための視点になっています。
出典・参考資料
「経済安全保障推進法改正に関する 提言骨子 (総合的な経済安全保障シンクタンク及び官民協議会)」経済安全保障法制に関する有識者会議 ↩
「経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律及び株式会社国際協力銀行法の一部を改正する法律案」参議院 ↩
「Courtesy call on Prime Minister TAKAICHI by Mr. Cormann, Secretary-General of the Organisation for Economic Co-operation and Development (OECD)」Ministry of Foreign Affairs of Japan ↩
「Japan-OECD Cooperation Plan on Economic Security」Ministry of Foreign Affairs of Japan ↩
「Commission recommends carrying out risk assessments on four critical technology areas: advanced semiconductors, artificial intelligence, quantum, biotechnologies」European Commission ↩
「White House Council on Supply Chain Resilience」Federal Register ↩
執筆者:補助金フラッシュ 士業編集部
補助金・助成金の活用法からAI導入、業務の生産性向上まで、中小企業の経営に役立つ情報を士業の専門家チームがわかりやすく解説します。
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