旅館の事業承継で見落としやすい課題、成功のポイントとは
旅館の事業承継というと、まず後継者不足を思い浮かべる方が多いですが、実際には引き継げる形に事業が整っていないことが大きな壁になっています。
誰が継ぐかより前に、何を残し、どう稼ぐ宿に変えるかを決めること。 これが、いまの旅館承継で最も重要な論点です。最近の統計と実際の事例を見ながら、その判断材料を整理します。
旅館の事業承継における課題は、後継者不足だけではない
客室稼働率が低く、厳しい収益構造
事業承継の相談で見落とされやすいのは、宿そのものの採算が次の担い手に見える形になっているかという点です。
観光需要は戻ってきていますが、観光庁の2025年年間速報では宿泊施設全体の客室稼働率が61.8%だったのに対し、旅館は38.4%にとどまりました。2024年も旅館の客室稼働率は36.1%で、回復はしていても水準はなお低いままです。全体が伸びている局面でも、旅館だけは収益構造が厳しいまま残っていることになります。1
この数字が重いのは、旅館が固定費の大きい業態だからです。客室が少し空いていても、風呂や共用部の維持、厨房の管理、清掃、人員配置は簡単には止められません。
さらに、食事付きの運営や宴会需要に依存してきた宿ほど、需要の変化がそのまま利益に跳ね返ります。営業していることと、次の人が安心して引き受けられることは別問題です。
中小企業庁の白書でも、後継者不在率は下がりつつある一方で、経営者の高齢化はなお高い水準にあり、60歳以上の経営者が過半数を占めるとされています。つまり、承継の問題は人探しだけではなく、経営の見直しを先送りしやすい年齢構成の問題でもあります。
ここで大切なのは、後継者不足を人の問題だけとして扱わないことです。宿の数字、設備、顧客層、地域との関係まで含めて整理しないと、承継の話は前に進みません。2
旅館を事業承継する際の成功のポイント
旅館を通して生まれる人とのつながりが重要
旅館の価値は、建物や土地だけでは決まりません。常連客との関係、地元の仕入れ先、従業員の動き方、地域の人がその宿に抱く役割も、引き継ぐ価値の大きな部分です。ここが整理されていないと、買い手や後継候補は物件しか見えず、話が急に難しくなります。
北海道白老町の旅館おぎたは、その逆を示す事例です。地元企業の合同会社こんのでんきが2025年11月に事業を引き継ぎ、創業家も運営に関わり続けながら、宿泊機能に加えてコワーキングスペースや地域交流の場へと役割を広げました。
公式サイトでも、宿泊客だけでなく地域の人にも開かれた場として位置づけており、建物を残すのではなく、町に必要な機能を更新しながら残すという考え方がはっきりしています。創業家が関わり続けることで、常連客への説明や地域との関係の引き継ぎもしやすくなります。34
石川県小松市で後継者を募集している大くぼ旅館の情報も示唆的です。募集ページでは、21室の客室、年間約3,300人の宿泊客、年間売上およそ2,700万円、送迎バス、厨房設備、顧客リストや仕入れ先紹介まで具体的に示されています。
引き継ぐ相手に見せるべきものを、感情ではなく経営資産として言語化しているからこそ、第三者にも検討しやすい案件になります。 これは、譲渡価格の説明だけでなく、引継ぎ後にどこから売上をつくれるかを見せる作業でもあります。
観光庁の白書でも、若い世代ほど現地の人との交流や地域との関わりを求める傾向がみられ、何度も地域に通う旅や帰る旅も広がりつつあります。宿を地域にひらく発想は、需要側の変化に合わせた再設計でもあります。56
親族が継がないとき、どうしたらいいのか?
第三者承継は、すでに現実的な手段
親族が継がないと、そこで話が止まりがちです。ですが今は、第三者承継(親族や従業員以外への引き継ぎ) を前提にした公的な支援がかなり増えています。以前よりも、地元外の個人や別業種の事業者が宿を引き継ぐ道筋をつくりやすくなりました。
中小企業基盤整備機構がまとめた令和6年度の実績では、事業承継・引継ぎ支援センターの相談者数は2万3千者超、第三者承継の相談者数は16,045者、成約件数は2,132件でした。
後継者人材バンクの成約も106件と過去最高で、第三者承継は特殊な例外ではなく、すでに使われている手段になっています。
ここで誤解したくないのは、第三者承継が大きな会社同士の売買だけを指すわけではないことです。実際には、地域の小規模事業者や個人事業に近い案件でも、引き継ぎの仕組みが使われています。7
日本政策金融公庫のマッチング支援でも、令和6年度の成約は163件、そのうち事業を受け継いで始める創業形態である継ぐスタによる成約は41件でした。累計では、継ぐスタの成約先の約3割が移住を伴う県をまたいだ成約です。
小松市継業バンクも、全国から継ぎ手を募れる仕組みを手数料無料で用意しています。地元に後継者がいないなら、地元の外まで募集の範囲を広げる。 いまは、この発想が十分に現実的です。89
実際、別業種の会社や移住希望者が引き継ぐ場合は、宿泊業の経験そのものより、地域で長く運営する意思と、既存の関係を尊重する姿勢の方が重要になることがあります。
相手が見つかれば十分という話ではありません。宿の文化や常連客との関係、地域で期待されている役割をどこまで共有できるかで、その後の立ち上がりは大きく変わります。引継ぎ後の最初の半年で、常連客への案内、予約導線、従業員配置が崩れると、条件のよい案件でも売上は落ちやすくなります。
引き継ぐ前に、点検しておくべきこと
数字、許認可、建物、人の順に確認する
事業承継の準備は、相手探しから始めるより、引き継げる状態かどうかの点検から始めた方が早いです。中小企業庁の事業承継ガイドラインでも、必要性の認識、見える化、磨き上げ、計画、実行という順番が示されています。
まず現状を見える形にしてからでないと、承継計画は実務に落ちません。10 特に旅館では、次の4点を先に確認しておくと話が進めやすくなります。
- 数字。月ごとの売上、客室稼働率、宴会や食事の比率、修繕費、借入返済額まで分けて見ます。
- 許認可。旅館業の承継では、都道府県知事等の承認を受ければ営業者の地位を承継できる制度がありますが、保健所への事前相談や衛生管理の確認が欠かせません。11
- 建物。浴場、厨房、配管、消防設備、送迎車両など、更新が必要な箇所を一覧にします。
- 人。常連客、取引先、従業員の役割分担、繁忙期に誰が何をしているかまで残します。
この4点は、単なる引き継ぎ資料ではありません。誰が来ても同じ説明ができる状態をつくるための土台です。候補者に見せる説明資料として育てていく意識があると、承継の交渉はかなり進めやすくなります。
たとえば常連客の比率が高い宿なら、予約管理表や客層の季節変動まで整理しておくと、買い手は引継ぎ後の売上を読みやすくなります。逆に、家族だけが分かる運営になっていると、その宿の価値は一気に下がります。
許認可も軽く見られません。旅館業では、事業譲渡について都道府県知事等の承認を受ければ営業者の地位を承継できますが、施設基準や衛生管理の確認は続きます。大きな改修や使い方の変更を伴うなら、承継とは別に必要な手続が出る可能性もあります。物件を渡せば終わりではなく、事業として続けられる状態にすることが必要です。
もう一つ見落としやすいのが、地域の行事、仕入れ先、冬場の修繕負担といった数字以外の情報です。見える化は、財務資料づくりではなく、現場の引継ぎ書づくりでもあります。11
準備を早く始めるほど、選べる道は増えます。 ガイドラインでも、支援機関は概ね60歳を迎えた経営者に承継準備のきっかけを提供する重要性を示しています。引き継ぐか、譲るか、閉じるかを落ち着いて選ぶためにも、余力があるうちの見える化が欠かせません。10
最後の判断軸
地域に必要な機能を残せるか
旅館の事業承継で成功しやすいのは、宿を残すこと自体を目的にしないケースです。地域で何の役割を果たすのかを定め、その役割に合う形で運営を組み替えた宿ほど、承継後に立ち上がりやすくなります。白老町の事例がコワーキングや交流機能を重ねたのも、その延長で見た方が分かりやすいでしょう。34
観光庁の事例集でも、事業承継の場面で重視されているのは、人材や屋号、既存顧客との関係をどう引き継ぐかと、承継後にどんな宿へ更新するかの両立です。
県内の同業者が老舗旅館を引き継いで従業員を継続雇用した例もあれば、近接する複数の旅館を一体的に承継し、客層や客室販売を見直して利益率を高めた例もあります。承継はゴールではなく、宿の経営を組み替える入口だと考えた方が実態に合っています。12
一方で、続けることだけが正解ではありません。中小企業庁の白書では、2024年の休廃業・解散企業のうち黒字企業の割合が51.1%でした。利益が出ていても、将来の担い手や投資負担の見通しが立たず、事業が閉じられるケースがあるということです。
つまり、閉じる判断そのものが失敗なのではなく、遅すぎる判断が失敗になりやすいということでもあります。だからこそ、旅館の事業承継で最後に持つべき判断軸は一つです。その宿は、次の時代にどんな価値を地域へ返せるのか。 ここが説明できれば、親族内承継でも第三者承継でも話は進みやすくなります。2
最初の一歩としては、A4一枚で十分です。宿の売上の柱、残したい常連客や地域との関係、直近3年で増えた修繕費、承継後にやめたいことと残したいことを書き出してみてください。その一枚ができれば、家族との相談にも、金融機関や支援センターへの相談にも使えます。承継の準備は、相手探しではなく、自分の宿を他人に説明できる形にするところから始まります。
執筆者:補助金フラッシュ 士業編集部
補助金・助成金の活用法からAI導入、業務の生産性向上まで、中小企業の経営に役立つ情報を士業の専門家チームがわかりやすく解説します。
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