サプライチェーンマネジメント(SCM)導入がうまくいかない会社は、何を先に整えるべきか?
サプライチェーンマネジメント(SCM)のシステム導入では、製品名やベンダーの評判に目が向きがちです。ですが、公開情報を丁寧に追うと、失敗の典型はもっと手前にあります。業務ルール、基本データ、移行設計が固まらないまま本番へ進むことです。
本記事では、製造業で導入が崩れやすい場所と、回避の順番を整理します。読み終える頃には、自社で最初に決めるべき項目が見えてきます。
なぜこの事例が典型例として重いのか?
出荷停止は短期の混乱では済まなかった
江崎グリコは、調達・生産・物流・ファイナンスの情報を統合する基幹システムへ、2024年4月3日に全面移行しました。
ところが移行後、チルド商品の受発注と出荷に影響が出て、4月18日に一部再開した後も、翌19日には物流センターでのデータ不整合や処理遅れを理由に再停止しています。
最終的に、システム障害発生前の全品出荷の状態に戻ったのは11月5日の出荷再開分で、会社がその復旧を公表したのは12月6日でした。
2024年12月期の有価証券報告書では、システム障害対応費用として6,403百万円を特別損失に計上しています。1234
公開情報で分かる範囲を見誤らない
ここで大事なのは、分かっていることと、まだ分かっていないことを分けることです。グリコの公開資料で確認できるのは、統合基幹システムへの全面移行後に、物流センターでの出荷業務に遅滞が生じ、データ不整合などが起きたことまでです。
独自開発だったのか、製品選定が直接の原因だったのか、特定ベンダーの責任がどこまであったのかは、公式資料だけでは断定できません。実際、同社は外部の法律事務所等の協力を得て原因究明を進めていると説明しています。14
この事例が重いのは、犯人探しの材料になるからではありません。一度の切り替えで、なぜ物流と供給が長期にわたって揺らいだのかを考える材料になるからです。SCMシステム導入失敗の典型例として見るべきなのは、この長い余波の方です。34
システムを入れても改善しないのはなぜか?
曖昧な業務は、システム上でも曖昧なまま残る
ERP(企業の会計、購買、在庫などをまとめる基幹システム)の研究では、導入の成否はシステムと組織の適合に大きく左右されると繰り返し指摘されています。
ERP導入を研究したHong and Kimは、成功が組織との適合に有意に依存すると述べ、導入は単なるソフトの設置ではなく、広い意味での組織変革として扱う必要があると整理しています。
要するに、工場ごとに発注単位が違う、例外承認の条件が暗黙の了解で回っている、在庫差異の直し方が担当者任せになっている、といった状態では、システムを入れても混乱の場所が画面に映るだけです。5
例外処理が多い会社ほど手作業が増える
業務プロセスの研究や標準化支援を行う非営利機関APQCは、プロセス定義が標準化を支え、さらに業務ルール、テンプレート、方針、過去の教訓をプロセスに結び付けることで、実行の質が上がると説明しています。
逆に言えば、誰が見ても同じ意味になる定義がないままでは、標準化の言葉だけが先に立ちます。製造業のSCMでは、このずれが代替品の扱い、急ぎの出荷、賞味期限が近い商品の引当、在庫修正のような例外処理で一気に表面化します。現場では手作業が増え、あとから数字を合わせる作業が常態化しやすくなります。67
経費精算ツールの使いにくさであれば、申請者の不満や処理時間の増加で収まることもあります。しかしSCMは、工場、物流センター、営業、取引先が同時に動く世界です。一つの未整理が、そのまま欠配や遅配に変わるので、現場ヒアリングでは画面の要望より先に、例外処理の棚卸しをした方が効果的です。15
ここまでで見えてくるのは、システムが業務を自動で改善するわけではない、という当たり前の事実です。正確には、整理された業務を大きく回せるようにするのがシステムです。この順番を逆にすると、導入後にやることが増えます。56
導入前に何を決めておけばよいのか?
先に決めるべきなのは例外処理のルール
導入前にまず詰めたいのは、普段は起きないが、起きると止まりやすい場面です。通常の受発注フローは設計しやすくても、納期短縮の依頼、代替原料の使用、欠品時の配分、返品や再製造の扱いは、部門ごとに判断が割れやすいからです。
成功要因を整理した研究でも、ERP導入は事前の目標や手順が曖昧なまま進めると失敗しやすいとされます。平時の流れより、例外時の判断基準を先に言語化しておく方が、あとで役立ちます。8
たとえば、最低限でも次の四つは文書にしておきたいところです。
- 受注が急増したとき、誰が出荷優先順位を決めるか
- 代替品や代替原料をどこまで認めるか
- 在庫差異を誰が、いつ、どの単位で修正するか
- 賞味期限やロットの例外を、営業判断で動かせる範囲をどこまでにするか
マスタデータの持ち主を曖昧にしない
次に重要なのがマスタデータ(品目や取引先、拠点などの基本情報)です。ERP大手のSAPは、マスタデータ管理の柱を統合、ガバナンス、データ品質管理の三つに置き、SAPの統合基幹システムであるSAP S/4HANAへの移行では、きれいで正しいマスタデータを実装前から整えておくべきだと説明しています。
品目、取引先、拠点、部品表(製品をつくるための部材一覧)、調達にかかる日数、単位換算のどれか一つでも責任者が決まっていないと、購買では正しく見えていた数字が、生産や物流へ渡る段階で別物になります。9
品目コードが営業部門の都合で増え、部品表は工場ごとに別管理、納入リードタイムは購買担当者の頭の中にしかない。こうした状態でも、旧システムと人手の調整で何とか回ってしまう会社は少なくありません。
ですが統合基幹システムに載せた瞬間、ばらばらだった前提が一つの判断ロジックに乗るため、古い前提の食い違いが、そのまま新しい不具合の種になります。9
ここまでで、導入前に決めるべきなのは機能一覧ではなく、例外ルールとデータの責任者だと分かります。次に見るべきは、本番移行の場面でその曖昧さがどう事故になるかです。
本番移行でどこが事故になりやすいのか?
検証の質が、切り替え当日の強さを決める
SAPの学習コンテンツでは、データ移行は識別、抽出、変換、投入、検証の工程から成る重要プロセスであり、本番展開前のレビューとテストは、移行リスクを下げるための安全策だと説明されています。
グリコの公表資料にあるのも、物流センターでのデータ不整合と、想定を超える受注品目数への処理遅れでした。
つまり、本番前に必要なのは、きれいなデモではなく、実運用に近い件数、例外、ピーク時負荷を含む検証です。通常日だけを想定した確認では、切り替え後の現実に耐えられません。1210
一度に全部を動かさない選択肢もある
本番移行は全面一斉切り替えしかないと思われがちですが、SAPは、段階移行を可能にする移行方式(Selective Data Transition)を別のアプローチとして示し、会社コード単位の段階移行や段階的な稼働開始を選べると説明しています。
もちろん、段階導入が常に正解というわけではありません。ですが、全面一斉切り替えだけが立派なやり方だと思い込む必要もありません。例外処理が多い工場、需要のぶれが大きい商品群、外部連携が複雑な拠点から先に範囲を絞る考え方は、実務では十分に合理的です。11
急いで全面切り替えをした方が、早く前に進めたように見えることはあります。けれども、止まった後に発生する補償、廃棄、営業機会の損失は重い。グリコが2024年に計上したシステム障害対応費用は、止まった後のコストの大きさを示しています。4
もう一つ見落としやすいのは、テストで通ったことと、運用で回ることは同じではない点です。受注件数が跳ねた日、月末で在庫調整が重なった日、販促で出荷順が変わる日まで想定しないと、現場は本番で初めて例外を学ぶことになります。10
最初に何から手をつければよいのか?
ベンダー選定の前に、社内で合意したいこと
もし明日から着手するなら、私はベンダー選定の前に、社内で次の三点を決めます。どの業務を標準化し、どの例外は当面残し、どのデータを誰が持つのかです。この順番は地味ですが、あとからの手戻りを減らします。
ERP導入の研究が繰り返し示しているのも、失敗しやすいのはシステム導入をIT案件としてだけ扱い、業務側の判断を後ろへ送ったときだという点です。58
- 標準化する業務の範囲
- 当面は人が判断する例外業務
- データの責任者と更新の頻度
導入の成否を業務の指標で見る
成功の基準も、画面の見た目ではなく業務の言葉で置くべきです。たとえば、受注確定から出荷確定までの手直し件数、月次締めにかかる日数、在庫差異の発生回数、緊急出荷の頻度のような指標です。
APQCは、プロセスの成果が見えるよう測定を組み込むことの重要性を挙げていますし、SAPもテスト段階でデータの正確性と整合性を検証する必要を示しています。業務の指標で見ると、導入の成否が現場の痛みとして早く見えるようになります。610
ルール整備を先にやると、導入が遅れるのではないかと感じるかもしれません。ですが、実際に遅れを大きくするのは、決めるべきことを決めないまま構築とテストへ持ち込むことです。目指すべきなのは、完璧な文書を作ることではありません。テストできる粒度まで判断を明文化することです。610
SCM導入失敗の典型例は、SAPだから、コンサルだから、という一言では片づきません。ルールの未整理、データのばらつき、移行設計の甘さが重なったときに、システムは弱点を一気に増幅します。
逆に言えば、この三つを先に整えれば、パッケージ製品は十分に力を発揮します。ベンダー比較の前に、まず自社の例外処理とマスタデータの棚卸しから始めるのが順番です。5910
導入プロジェクトの議論を、画面や機能の話から、業務判断とデータ責任の話へ戻すことが出発点です。先に土台を整えるほど、本番は静かに進みます。
「The critical success factors for ERP implementation: an organizational fit perspective」ScienceDirect ↩
「Key Practices to Make Your Process Management Program Stick」APQC ↩
「The 2 Biggest Challenges to Process Framework Implementation」APQC ↩
「Enterprise resource planning: Implementation procedures and critical success factors」ScienceDirect ↩
執筆者:補助金フラッシュ 士業編集部
補助金・助成金の活用法からAI導入、業務の生産性向上まで、中小企業の経営に役立つ情報を士業の専門家チームがわかりやすく解説します。
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