賃上げをしたのに、税制の書類が難しくて見送ったという話を毎年聞きます。賃上げ促進税制は、前年より給与を増やした分の一部を、法人税または所得税から直接差し引ける制度です。ポイントは、要件の数字、繰越控除の条件、申告で添付する明細書の3つを先に押さえることです。
この記事では中小企業が迷いやすいところだけを、実務の手順に落として説明するので、申告直前に慌てないように準備できます。

赤字でも関係ないと思っていませんか?
使い切れない税額控除を、5年間繰り越せる
賃上げ促進税制のいちばんの誤解は、赤字なら関係ないという思い込みです。中小企業向けでは、税額控除をその年に控除しきれない場合でも、一定の条件を満たせば未控除額を5年間繰り越せます。法人税でも所得税でも、制度として明記されています。12
控除しきれないのは、赤字だけが理由ではありません。例えば、当期の税額が小さい、ほかの税額控除を使っている、欠損金の繰越控除で税額が薄い、といった状況でも起きます。控除上限に当たって余った分を翌年以降に繰り越せるので、賃上げをした年と利益が出る年がずれても税効果を拾いやすくなります。12
この繰越を活かすには、賃上げをした年の申告で要件を満たし、必要な明細書をそろえておくことが前提です。ここから先は、そのために何を確認し、どんな順番で作業するかを見ていきます。
まず自社が中小企業向けの対象か確認する
中小企業者等と個人事業主の範囲を押さえる
中小企業向け賃上げ促進税制は、青色申告をしている中小企業者等が対象で、個人事業主も条件を満たせば所得税で使えます。3 法人の場合は、資本金や大法人との資本関係などで中小企業者等に該当しないケースがあるため、会社規模の判定を先に済ませるのが安全です。1
個人事業主は、制度上の区分が複数あります。中小事業者に該当するかどうかで控除率や繰越の可否が変わるので、従業員数の条件も確認してください。2 対象かどうかが曖昧なときは、まず国税庁の要件定義に当てはめ、そのうえで税理士に論点を絞って相談すると会話が早くなります。
所得控除ではなく税額控除で、減り方が違う
賃上げ促進税制は、経費が増える仕組みではありません。計算した税金そのものから差し引く税額控除(税額から直接引く仕組み)です。12 例えば給与総額が前年差100万円増え、控除率が15%なら、税額は最大15万円減ります(控除上限に当たらない前提)。同じ100万円でも、所得控除のように税率で減り方が変わる話ではないため、社内説明が比較的しやすいのが特徴です。
対象期間も押さえておくと安心です。中小企業向けの強化措置は、法人は令和9年3月31日までに開始する事業年度が対象とされています。3 個人事業主は年分で管理され、制度説明や申告書式も年分に合わせて更新されます。24 ここまでで、使える制度かどうかの入口が見えました。次は、要件の数字でつまずくポイントです。
要件の数字は、何を分母にするかで間違える
1.5%の判定は、給与の総額で見ていく
中小企業向けの基本要件は、雇用者給与等支給額が前年より1.5%以上増えていることです。1 判定は、基本給だけではなく賞与や各種手当も含めた給与等の総額で行います。15 逆に、役員や役員の特殊関係者など、カウントから外れる人もいます。5 ここを曖昧にすると、達成したと思ったのに要件を満たしていなかった、というミスが起きます。
もう1つ、集計の範囲がぶれやすい点があります。国内雇用者には、パートやアルバイト、日雇い労働者も含まれる一方で、社長や役員は原則として含まれません。5 さらに、給与等の考え方には細かな例外もあります。例えば、従業員の奨学金返還を会社が支援する場合の取扱いなどは、社内制度の設計に直結します。3 難しい例外に踏み込みすぎるより、まずは給与台帳の対象者と集計ルールを固定し、計算の土台を作ることが重要です。
上乗せ要件は、達成難度と社内メリットで取捨選択する
税額控除率は、基本が控除対象雇用者給与等支給増加額の15%で、要件を満たすと最大45%まで上乗せされます。1 上乗せは、例えば賃上げ率2.5%以上、教育訓練費の増加、子育て支援や女性活躍に関する認定などで段階的に加算されます。12
ただ、上乗せを全部取りにいくと、賃上げ計画が制度の都合に引っ張られます。最初は15%の基本要件を確実に満たすことを優先し、教育訓練費や認定取得は中期の人材戦略と整合する範囲で考えるほうが、結果として続きます。ここまでで要件の設計が見えました。次は、繰越控除をどう見積もるかです。
繰越控除の税効果は、控除上限と翌年条件で決まる
上限20%に当たると、控除枠が残る
賃上げ促進税制には、税額控除の上限があります。法人税でも所得税でも、原則として当期の税額の20%が控除限度です。12 そのため、控除率を上げても、もともとの税額が小さい年は控除しきれません。ここで生まれた未控除額が、5年間の繰越枠になります。12
例えば、控除額が30万円でも控除上限が20万円なら、その年は20万円しか減りません。残り10万円は、要件を満たせば翌年以降に繰り越せます。1 ただし、繰越枠は無条件ではありません。繰越を使う年にも、雇用者給与等支給額が前年を上回ることが求められます。12 期中に人員が減る会社や、業績に連動して賞与が大きく動く会社は、繰越を使う年の給与総額が下がらないように、早めに見込みを立てておくと安全です。
ここまでで、控除額が出ても消えるわけではなく、翌年以降に繰り越せる可能性があることが分かりました。次は、その可能性を現実のものにするための申告手続です。
申請は、確定申告で明細書を添付する
法人税と所得税で、必要書類がずれる
賃上げ促進税制は、補助金のような事前申請ではなく、確定申告で適用を受けます。法人税は別表や明細書の提出が前提になり、記載要領も国税庁が公開しています。6 繰越を使う場合は、繰越税額控除限度超過額の明細書など、追加の添付が必要です。1
法人税で繰越控除を選ぶなら、繰越が生じた事業年度の翌年以後は、控除を使わない年も含めて明細書を添付し続ける必要があります。1
所得税は、給与等の支給額が増加した場合の所得税額の特別控除に関する明細書を、確定申告書に添付します。さらに申告書第二表の特例適用条文等欄に、措法10の5の4と記載するよう案内されています。4 まずは、次の資料がそろっているか確認してください。
- 前年と当年の賃金台帳、給与支払集計など、給与総額を裏づける資料
- 教育訓練費で上乗せを狙う場合は、実施時期と内容、支払先と金額が分かる資料
- 繰越を使う場合は、前年までの未控除額が分かる明細書一式1
書類がそろうと、申告ソフトに数字を入れる作業と、明細書の作成が分離できます。次は、明細書づくりで詰まったときの現実的な進め方です。
PDF入力で迷ったときは、計算と転記を分けて考える
所得税の明細書は、作成が自動計算に対応していないと案内されているケースがあります。7 その場合、給与の集計と控除額の計算を先に表計算で終わらせ、最後にPDFへ転記するとミスが減ります。国税庁の記載要領や手引を手元に置き、欄番号と計算式を突き合わせるだけでも進みます。46
転記で間違えやすいのは、比率の計算と、控除上限20%のチェックです。数字の根拠を残すために、前年と当年の給与総額、増加率、増加額、控除率、控除限度額、繰越残高を1枚のシートにまとめておくと、翌年の繰越にもそのまま使えます。12
明細書づくりを1人で抱えると、どこで迷ったのか自分でも分からなくなりがちです。作業を、給与集計、控除額の試算、申告書への転記の3つに分けると管理しやすくなります。集計は人事と経理で対象者を確定し、試算は税理士にレビューを頼み、転記は手引を見ながら入力する、と切り分けるとミスの原因を追えます。繰越を見込む会社は、このシートを翌年に引き継げる形で保存しておくと、申告期の再計算が減ります。
また、税理士事務所が、特定の年分に合わせたExcelシートを公開している例もあります。8 便利ですが、年分がずれると欄番号や計算ルールが変わる可能性があるので、最新版かどうかの確認は必須です。明細書が書ける状態になったら、最後に税制改正の動きだけ押さえておきましょう。
令和8年度税制改正で、賃上げと投資の見方が変わる?
税制改正大綱で、賃上げ促進税制はどう扱われたか
令和8年度税制改正の大綱では、賃上げ促進税制のうち大企業向け措置は令和8年3月31日で廃止するとされています。9 中小企業向けは、現行制度として対象期間が設定されているため、直ちに消える制度ではありません。3 ただし、大綱は法案化と成立を経て適用されるので、実際の適用時期や細部は公布された法令で確認してください。
同じ大綱には、投資や研究開発を後押しする新しい税制も並びます。例えば、特定生産性向上設備等投資促進税制の創設や、研究開発税制の戦略技術領域型の創設が盛り込まれています。910 また、中小企業の少額減価償却資産の特例は、取得価額の基準を40万円未満へ引き上げる案が示されています。10 ここが動くと、パソコンや業務用機器などの購入の処理が変わる可能性があるため、賃上げと投資を同じ年度で判断する会社は影響が大きくなります。
来期のために、最低限やっておくと迷いが減る
制度を使うかどうかは、賃上げを決める前から準備できます。次の3つだけ先にやると、申告期の混乱が減ります。
- 前年と当年で、誰の給与を集計対象にするかルールを決めて賃金台帳を整える
- 賃上げ率が1.5%と2.5%をまたぐかを試算し、上乗せ要件は人材戦略と整合するものだけ選ぶ12
- 未控除額の繰越が発生しそうなら、明細書の保存と翌年の賃上げ条件も前提に入れる12
最後に、税制は毎年細部が動きます。中小企業の現場では、完璧な最適化より、取りこぼしを減らす手順のほうが成果につながりやすいです。要件、繰越、書類の3点だけを押さえ、必要なら専門家のチェックを受けて進めてください。
出典・参考資料
中小企業者等の賃上げ促進税制について、1.5%要件、控除率15%から最大45%、控除上限20%、5年間の繰越や添付書類を整理している。国税庁(令和7年4月1日現在) ↩
所得税の賃上げ促進税制について、中小事業者の控除率や上乗せ、控除上限20%、繰越税額控除制度を説明している。国税庁(令和7年4月1日現在) ↩
中小企業向け賃上げ促進税制の概要と対象期間を示し、奨学金の代理返還が給与等支給額の対象になる旨も掲載している。中小企業庁 ↩
所得税で賃上げ促進税制を適用する際に添付する明細書の様式で、条文番号の記載方法も案内している。国税庁(令和7年分以降) ↩
中小企業向け賃上げ促進税制の用語定義や集計範囲、繰越控除措置の考え方をまとめたガイドブック。中小企業庁(令和6年9月20日更新) ↩
法人税の適用額明細書の一覧と記載の手引を掲載し、申告時に提出する別表や明細書の作成方法を案内している。国税庁(令和7年4月1日以後終了事業年度分) ↩
所得税の賃上げ促進税制の明細書が自動計算に対応していない旨を案内し、帳票を直接編集して作成する必要があることを説明している。freeeヘルプセンター(2025年12月23日更新) ↩
所得税の賃上げ促進税制について、特定の年分向けの明細書作成Excelを公開し、年分が違う場合に使えない点も注意喚起している。Totas税理士事務所(2026年1月23日) ↩
令和8年度税制改正の大綱の概要として、賃上げ促進税制の大企業向け措置の廃止や研究開発税制の新枠などを示している。財務省 ↩
中小企業の少額減価償却資産の特例の取得価額を40万円未満に引き上げることや、特定生産性向上設備等投資促進税制の創設案を示している。財務省 ↩
執筆者:補助金フラッシュ 士業編集部
補助金・助成金の活用法からAI導入、業務の生産性向上まで、中小企業の経営に役立つ情報を士業の専門家チームがわかりやすく解説します。
こちらもおすすめ

小規模事業者のための品質管理入門。顧客信頼を高めるQC活動の始め方
小規模事業者にとって、品質管理は大企業だけの専門業務ではありません。納期どおりに届く、前回と同じ仕上がりになる、問い合わせへの返答がぶれない。こうした日々の安定感が、顧客信頼を支えます。小規模事業者の品質管理は、特別な認証や大きなシステムからではなく、仕事のばらつきを減らす小さなQC活動から始めるのが現実的です。 この記事では、白書のデータと品質管理の基本をもとに、手作業が多い現場でも始めやすい進め方を取り上げます。まずは、身近な仕事のばらつきを見るところから始めましょう。

小規模事業者の経営戦略・経営計画の立て方
SWOT分析で弱みを並べると、経営計画を作った気になりやすいものです。人手が少なく、資金にも時間にも限りがあるほど、気になる弱みは次々に見つかります。 小規模事業者に必要なのは、弱みを全部直すことではなく、限られた人、時間、資金を選ばれる理由へ集めることです。経営戦略は、会社を平均点に近づける作業ではなく、どこで違いを出すかを決める作業です。限られた資源の使い道を決めると、弱みの優先順位も自然に変わります。 この記事では、弱み補強から抜け出し、経営戦略を経営計画へ落とし込む順番を考えます。

小規模事業者の組織・人材マネジメント入門。属人化を防ぎ、少人数でも機能するチームのつくり方
少人数の会社では、ひとりが休むだけで現場の流れが変わります。だからこそ最初から全部任せるより、経営者が仕事の型を作り、育った段階で手放すほうが現実的です。 これは監視を強める話ではなく、誰が担当しても迷わない組織に近づけるための人材マネジメントです。採用が難しい時代に、属人化を防ぎながらチームを育てる考え方を取り上げます。

小規模事業者のための労務管理入門。労働時間管理・給与計算の基本を解説
従業員を雇い始めると、雇用契約、勤怠、給与、届出など、確認することが一気に増えます。小規模事業者の労務管理で最初に整えたいのは、制度名を覚えることよりも、毎日の労働時間を正しく記録し、その記録から給与を計算する流れです。 36協定や就業規則は大切ですが、土台になるのは労働時間管理です。時間があいまいなままでは、給与計算も残業の判断も後から説明しにくくなります。 この記事では、初めて労務管理を見直す人に向けて、どこから手を付けるべきかを実務の順番で整理します。

国の補助金と自治体の上乗せ助成・利子補給制度の併用について解説
国の補助金を見つけると、そこで調べものを終えてしまいがちです。けれども、実際の負担額を大きく変えるのは、国の制度そのものより、その後に使える自治体の上乗せ助成や利子補給であることがあります。 大事なのは、補助金を割引券のように見るのではなく、国、都道府県、市区町村、金融機関がそれぞれ何を支援しているかを分けて見ることです。 この記事では、EV購入、賃上げを伴う設備投資、マル経融資の利子補給を例に、併用を考える順番を整理します。

補助金と融資はどう組み合わせる? 創業期、経営革新期のケース別資金調達プラン
補助金は、設備投資や販路開拓の背中を押してくれる制度です。しかし、採択されたらすぐ資金が入る、と考えて計画を組むと資金繰りでつまずきます。 補助金は投資の実質負担を軽くする手段であり、融資は支払いと入金の時間差を埋める手段です。資金調達プランでは、いくらもらえるかより、いつ支払い、いつ入金され、遅れたときにどこまで耐えられるかを先に見ます。 この記事では、創業期と経営革新期のケース別に、補助金と融資をどう組み合わせるかを整理します。最初の資金繰り表を作る材料としてお役立てください。